連載コラム
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コラムサラリーウーマン金太郎 ── いよいよ独立起業編
Vol.11 「別れの予感 Part1〜いいわ、卒業しなさい」
(4.Nov.2003)
1週間前に預かった辞表を机の上に置き、私はMと向かい合って座っていた。
Tが最初に辞めたいと言ってきたのは1年前の春だった。インターネット事業での大きな実績を元に、彼の昇給をかなり頑張ったものの、彼を主任にすることは出来なかった。

「俺、この会社での評価は限界あると思いました。一般旅行業務取扱主任者の資格もあるし、宅地建物取引主任者も持っています。親父も独立して仕事しているし。それ手伝ってもいいかなと思って」

「待ちなさい。貴方はこれから伸び続けるIT業界から足を洗うつもりなの。この業界は先駆者がいないのよ? 頑張れば頑張るだけ自分でいろいろやれるのよ。どんな夢でも掴めるわ。貴方はその最短距離にいる1人だと思うわ」

「でも、植田さんが評価してくれたって、会社は違うだろう。俺は納得できない」 「IT業界以外で仕事をするという貴方の辞表は絶対に受け取れない。私を信じて、もう少し走ろうよ」

ちょうどその時、私は某有名ネットワーク機器メーカーの、視察旅行を私と部下のT課長と2人で行く話を思い出した。
ゴールデンウィークにかけての視察旅行だが私達には余裕は無かった。
そこで、私は会社に無理を通して、Mと主席主任のKを私達の代わりに行かせることにした。 2週間余りの視察旅行のメンバーはIT業界の中堅VIP。
外資系企業の部長、執行役員クラスばかりだった。そんな中で、MとKはとても優秀な営業マンであり、技術者として高く評価され、可愛がられたようだった。
視察旅行から戻った彼らの顔の輝きは違っていた。
それは、自分たちの今の会社での実績や、自分のスキルが外部でも十分に評価されることを知った自信からくるものに他ならなかった。
私は彼らの変化した様子を見て、とても嬉しくなった。そしてほんの少し不安が心をよぎった。

そしてその不安は5カ月後に的中した。
MとKの2人ともに魅力的なポストへの誘いが入ったのだ。
それは視察旅行に一緒に行ったメンバーからのダイレクトのものだった。
私は自分の部下達を最高に優秀だと思ってきた。本当にそうだもの。
だからこそ、彼らは注目を浴び、誘われた。当然のことだったのかもしれない。
私はわざわざ自分の大切なものを、奪われる可能性のあるライバル達の中に投げ入れたのだ。 9月にMから再度辞めたいと相談された。
いよいよ来たなと思った瞬間、私は子宮筋腫の2回目の手術で倒れてしまった。
だから、その話は保留となった。そして、私が復帰して3カ月、殺し屋もいなくなり事業部に静寂が戻った今、Mから辞めたいという話を聞かされた。
私は辞表を受け取り1週間考えた。
彼を引きとめることは出来るのか? どんな方法があるのか?
しかし、本当に引きとめたいと思っているのか?私はMに向かって静かに話し始めた。

「この会社を辞めてどうするつもりなの?」

「この前話をしていた、ソフトウェアの会社に行きます。そこの事業部長に誘われています。視察旅行で一緒だった人です。僕のこと絶対来て欲しいって言い続けてくれています。片腕になって新規事業展開を手伝ってくれって」

「貴方はその人について行きたいと思っているのね。どんな人なの?」

「大きいビジョンを持っていて行動力もあって、すごいんですよ。有限実行してます。植田さんもすごいと思ったけど、これからは、その人と一緒に働いてみたい。そして、IT業界でもっともっと成功してみたい」

「貴方がやりたいことは、この会社ではもう出来ないのね?」

「ええ。今はもう無いと思います。立ち止まっているというか、淀んでいます。自分の可能性をIT業界でもっと試したいんです」

彼を引きとめようという気持ちは消えた。彼を応援したいと思った。

「分かったわ。新しい会社に行きなさい。いいわ、ここはもう卒業しなさい」

「いいんですか。本当に?」

私がすんなり許したのが意外だった様子だ。

「いいも悪いも、その代わり約束してよ。次の会社で私が驚くくらいの実績上げて見せて頂戴。」

思えば3年前、彼は私の下に配属されたときに「鬼ババア」と悪態をついていた。
そして、親会社のインターネットの辛い立ち上げを本当に1人でゼロから頑張った。一緒に泣いて笑って、本気で口論をして…。
Mの送別会は事業部全員が皆参加した。焼肉を食べ、カラオケを歌いまくり、そして最後は私の家で3次会。まさしく卒業式の夜だった。
私は先生と母親と父親の3役の気分で満足だった。

しかし、Mの卒業を見守る、Kの辞表。
彼は、この事業部の要のネットワークエンジニアだ。
彼を失うことは事業部の何を意味するのか?ゆっくり何かが壊れ始めていた・・・。

PS 後日談だが、Mは転職したソフトウェア会社で、翌年にはアジア地域第2位という成績を残した。そして7年後の今、彼はその会社の営業室長になっている。

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