連載コラム
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コラムサラリーウーマン金太郎 ── いよいよ独立起業編
Vol.10 「最後の戦いPart3〜殺し屋の抹殺〜」
(1.Sep.2003)
私は羽田の社長室に座っていた。

「ご報告します。Y事業部長のやり方はあまりにひど過ぎます。部下全員の面談ヒアリングをしましたが、彼らが変わる努力をしたとして、あのやり方が変わらない限り、結果は見えています」

「結果というと?」

「事業部の崩壊です。誰1人、Y事業部長にはついていけません。私も含めてです。一番の問題は事実においての、ご自身の責任を全く感じていらっしゃらないことです。それとプロパーの社員を機械のように、虫けらのように扱っています。一人一人の心を大切にしていない。部下は希望と夢を無くして離れていくだけです。私達のマルチメディア事業は、未知の世界への挑戦、可能性への挑戦です。彼らが夢や希望を無くし、心を閉ざしてしまえば、事業部は死んだも同然です」

私はふと数年前の『全員の辞表事件』を思い出した。よく似た状況だ。私はあの時に深く自分を反省した。しかし、Y事業部長は自分を正義だと信じ強硬手段で部を制圧しようとしてしまった。
社長、常務、他の取締役、本体の管理部門まで入る会合が数回行われた。そして在る決定がされ、私は再び社長室に呼ばれた。

「Y事業部長はマルチメディア事業部の担当を外し、担当無しの取締役にするぞ」

「彼は私達の事業部のある六本木ではなく、羽田勤務になるのですか?」

「いや、六本木のままだ。本社の人事異動のタイミングまで、少なくとも4カ月は」

「駄目です。彼が六本木オフィスに居れば冷たい空気は変わりません。更に彼が理由を納得しなければ、逆恨みをするかもしれません。少なくとも精神的に参って、出勤が出来ないでいる部下達はそれでは働けない」

「しかし、羽田には彼のいる場所が今は無い。彼の部屋を作らなくてはならないし」

「では、その準備が出来るまで自宅待機にしてください。会社に出勤したくても出来ない私の部下の気持ちを味わってもらいたい」

言い過ぎたとは思わなかった。今回の対決は潰すか潰されるかのものだもの。

その週の金曜日、羽田の定例取締役に意気揚々と出かけて行ったY事業部長は二度と六本木の事務所に戻ることはなかった。彼は会議後、自宅待機となり、翌週の月曜日には彼の席の荷物はダンボールに詰められて羽田に送られた。3週間の自宅待機後、6畳ほどの個室で全く仕事を与えられずに彼は2カ月間を過ごした。通常の異動よりも更に2カ月も早い本社の人事異動で、彼は本社に戻った。それは地方の閑職ポストで、栄転復帰ではなく、あからさまの左遷だった。
私のデスクの電話が鳴った。電話の主は彼が私の会社に来る前にいた部署の課長だった。

「君、やったね〜! さすがだよ、殺し屋を抹殺したんだね。彼に踏みにじられた人達の敵がとれたよ。ありがとう」

また別の電話が鳴った。

「本社の人間は怖くて誰も出来なかったよ。皆、彼の部下になったら嵐にあったと思って息を潜めて次の異動まで辛抱してたんだ。さぞかし痛快だろう!」
痛快? 私の心に喜びなど湧いていなかった。計り知れない空しさと、組織の残酷さを目の当たりにして悲しくなった。後味の悪さ、この上無い。
自分の体を張って守ろうとしたものは何なんだろう? 入院中のベッドで考えたことが蘇ってきた。私の事業部? それって何? 私はどんな未来をここで探そうというのか? そして、引き出しの奥にしまっていた、来週面接をしなければならない優秀な二人の部下の辞表を見つめながら、大きなため息をついた。(つづく)

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