連載コラム
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コラムサラリーウーマン金太郎 ── 激闘本番30代篇
Vol.17 「営業の壁を突破させた「恋のバカンス」」
(19.Jly.2000)
私が管理職になったとき、その実力は、企画力やそれを推進していく力が高く評価されていた。目の前に置かれた億を越える営業ノルマは恐くなかったが、私はここで壁にぶち当たった。年間数千万円の新規開発を取ることはそれこそ大変だが、それ以上に親会社(エアラインA社)の担当部署に対して、毎月の開発や追加案件等に関してのフォローをする日々の営業が非常に重要で、私の時間の大半を占めた。派手めな外見で、ガンガン提案をしていく女性課長を、大歓迎して可愛がってくれる役員もいるが、実は現場レベルでは私に対しての不信感を持ち、生意気と感じる人は多く、ともすれば開発チームが冷遇されることになりかねなかった。
 中でも一番苦手にしていたのが、パイロットに基礎座学教育を教えている平均年齢55歳の教官達、約50名の部署だ。彼らは数年後に定年を控えている教官歴20年の方々。彼らにとって私が提案した、マルチメディアを活用したセルフトレーニングシステムは、自分たちの存在を脅かすものに映ったようだった。いくら教官達の個人に蓄積されている高いノウハウをマルチメディア教材(CD-ROM)に移植することの素晴らしさや、教官達の存在意義が更に向上すると説明したところで、超アナログの世界で座学中心の教育をしてきた方々の反感を買うばかりだった。
「僕達の仕事をコンピュータがとってしまう。彼女の考えるセルフトレーニングになったら自分達はお払い箱だ。」
「あの営業の女性はお高くとまってる。私達の大変さなどわかってない。キャリアウーマンだか何だかしらないが、冷たく図々しい女だ。」
「色気と頭のよさをひけらかして、上層部に売り込みかけてるんじゃないのゥ。」
 ここの部署の開発は受注して、すでに始まっている。教官達の反感を取り除かない限り、開発プロジェクトは失敗してしまうかもしれない。私はギリギリの状態にあった。
 この究極の状況に追い討ちをかける、私のもう一つの壁が夜の接待営業だった。業務打ち合わせは基本的に9時〜5時の間でできる。しかし根回しという言葉があるように、その後の親睦を兼ねての食事(接待というほどでもないが)は、大企業の中では避けて通れない関門であることを知った。私の上司や役員と同席する接待の場面は、小人数の時もあれば10人を超えることもあった。最初は新橋あたりの小料理屋で食事、これは私なりに気を使えばすむところ。しかし、その後はカラオケのできるスナックやミニクラブでの2次会となる。この二つは、いわばいつもセットの状況。私はカラオケが大の苦手、小学校1年の時にソルフェージュを教えてもらったピアノの先生に音痴のレッテルをはられてから25年、人前で歌うことなど一度もなかった。歌うということが死ぬほど恥かしいし、絶対に避けたかった。それでも場が白けると言われて、マイクを握らされて歌った歌は山口百恵だっただろうか。余りの下手さに、本当に全員が白けてしまった。
「カラオケも満足にできなくて、よく営業だね」「女はミニスカートはいてお酌すれば営業になるからいいよね」「オジサン達と馬鹿はやれないんだよね、君はエリートだし」 セクハラと頭にくれば済むのはOLだった頃のこと。管理職となり部下と営業ノルマを抱えた私は、歌えないとなどと言ってる場合ではなかった。私は決意をした! カラオケを得意になってやる! 私の直属の部下A子は会社でも有名なカラオケの達人。何しろお母さんは民謡の先生だ。私は2ヶ月間、毎週カラオケボックスで彼女の特訓を受けた。毎日ウォークマンで歌を聴きながら、約2ヶ月が過ぎた頃、私はカラオケデビューできるくらいになった。つまり相変らず下手なんだが、人前で堂々と歌う肝っ玉ができたのだ。
 そんな時、一番不得意な例の部署から、ある教官の退官(定年退職)記念パーティへの参加を要請する招待状が来た。そのファックスには「カラオケ大会あります。どなたかが参加出場してください。単なる歌でなく芸を希望!」。 これだ、ここでデビューしよう。私はA子を呼んで、あることを頼みこんだ。

 パーティの当日、私達の番になった。
「次は恋のバカンス。歌うはABCの植田課長とA子さん」
ドアを空けて入ってきた私達は、金髪のかつらをつけ、派手な模様のサルサを素肌に巻き、特製手作りガーターベルトにアミタイツ姿。本物のザ・ピーナッツのビデオに限りなく近い姿で、しかも成りきって歌って踊った。
 あっという間に3分の舞台が終った時。そのパーティにいた約70名のオジサマ達から割れるような拍手が。そして全員が一度に舞台に押し寄せてきて、握手の嵐だった。
「ありがとう、植田くん。君はすごいね。ここまでやるとは。」
「勘違いしてたよ。お高くとまってるのかと。君はいいハートしてるね。」
 私は一瞬何が起きているのかわからなかった。
 翌日、開発チームのリーダーから報告が上がってきた。
「仕事とてもやりやすくなりました。マルチメディアをどんどんやろうって教官達が言ってます。開発が終わったら、また植田さんと盛り上がりたいとのことです。」
 たぶん、教官達は私の提案を100%理解してくれていたのだろう。営業はシビアな駆け引きの場面がたくさんあるけど、仕事はお互いを人間として信頼できるかどうかがすごく重要である。信頼できると急速に仕事がやりやすくなる。
 私が一番苦手だった部署の教官達は、いつの間にか私のマルチメディアチームの一番の理解者・応援団になってくれていた。

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