連載コラム
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コラムサラリーウーマン金太郎 ── 激闘本番30代篇
Vol.7 「Dreams come true」
(3.May.2000)
CA (Cabin Atendant)の教育訓練をマルチメディアに置きかえるプロジェクトの目鼻がつき始めたころ、私はこの製作途中のデータとパソコン(まだノート型など会社に買ってもらえるはずもなかった。だからモチロンデスクトップ)をかついで、エアラインA社のあらゆる部署でプレゼンテーションをやり、営業をした。
「ふーんすごいね、ゲームみたいなことできるんだね」
 マルチメディアの価値・可能性は高額なおもちゃ、またはCGゲームのようにしか理解されなかった。次の仕事が来なきゃ、ノートパソコンは愚か、開発マシンだって買ってもらえない。来る日も来る日も、営業。
「僕達ってMac(マッキントッシュ)二宮金次郎って感じですね」と、クリエイターとしてアルバイトに来ている専門学校の学生達が笑った。何やってるのだろう。これじゃ何時までたっても次の仕事が来るわけないよ。そうだ! 私には、前の会社の時に開拓したいろいろなクライアント先があった。
NSX 早速、アスキー時代にフリーペーパーUrbに大胆にもNSXの広告を出広してくれたHONDAのW氏に電話をかけた。
「久し振り。何やってるの。会社変わったんだよね、何か面白いことやってる?」
「やってますよ。マルチメディアって知っています? すごいですよ。夢が現実になっちゃう」
「面白そうだね。詳しく聞かせてよ。すぐに会おう」
 それから、ほんの3回の打ち合わせでNSXの販促物としてのCD-ROMを1000枚、車1台分の金額(約1000万円)で製・キることがほぼ決定。しかもこのCD-ROMを一般に販売することも認めてくれた。それもロイヤリティは無料で。そこには唯一のキーワードがあった。『Dreams come true!』——これはHONDAのNSXスポーツカーのメインコピーだ。「夢が現実になるメディア」マルチメディアにぴったりシンクロしたのだ。
「昔、名車はさりげなく小説や映画に出てくるでしょう。今の名車はさりげなくCD-ROMに登場しよう」
 私は小躍りして会社に戻った。この報告には直属の上司も役員達もさすがに驚いた。私の会社では親会社やグループ会社以外との取引が全くなかったのだ。しかもマルチメディアなる事業で、天下のHONDAと契約。私はこの契約で、開発用マシン(クアドラ)を3台会社に買わせた。しかし、そこまで。開発の人員体制に対してのフォローはゼロ、外注もままならない。またしても私一人に責任が押し付けられた。失敗を恐れ誰もかかわろうとしない。私はゲーム大好きのアルバイト3人を呼んで、このCD-ROM開発の主旨と、それを全て彼らに任せたいという話をした。彼らは驚きはしたが、やりたいと言った。そして彼らの条件は、すごく大変だから学校に行けなくなるのは困る。作るなら楽しいもの、エンタテイメントものにしたい。売るなら音楽CDと同じ3000円で売って、友達にも買ってもらいたい。私は彼らの学校の担任にすぐに会いに行き、事情を説明して、他のコースでやられている実践授業と同様、私の会社への出勤を単位取得に振り替えてくれるように頼み、しかも卒業製作はこのHONDAのCD-ROMを認めてもらう約束をしてもらった。今思えばめちゃくちゃ強引な話である。
 それから8ヶ月間。学生達はほとんど会社に泊まりこみ状況となり、簡易ベットを買った。そんなことで売り物になると思っているのか、清潔にしろ掃除しろだの社内外野の心ない罵詈雑言を一身に受けながら、私は完成を祈って戦い続けた。1992年11月、幕張のマックワールドジャパンのアップルコンピュータのブースの1台のパソコンで、このCD-ROMを発表した。Quicktimeで映像で自分でコマーシャルが作れたり、今はやりの育成ゲームのような要素もあり、技術的にもそこそこレベルは高く、全体が十分なエンタテイメントとして仕立てられていた。これはクライアントは元より、いろいろな雑誌で取り上げられるほど高い評価を得た。しかも当時「アリス」という有名なCD-ROMが2万円以上、他のものでも1万円以上のものばかりの時に、3000円という価格は一種の価格破壊でもあった。全部で5000枚は売れたように覚えている。
 1993年春、私の夢のひとつが実現をし始めた。One of my dreams came true
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