連載コラム
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コラムサラリーウーマン金太郎 ── 激闘本番30代篇
Vol.5 「31歳転職! そしてマルチメディアとの出会い」
(11.Feb.2000)
1991年の3月に「Urb」(アーブ)は休刊することになった。
 それは、編集長をやりながら一人で広告取りもする生活に、私が疲れたから。
 Urbを進化させていきたいという夢はあった。フリーペーパーと、アスキーネット(パソコン通信)とのメディア・ミックスだったものを、更にFAXマガジンへ展開しようとも考えた。世の中ではダイヤルQ2サービスが出始めの頃だった。ただ、私のプロジェクト自体が、バブルの影が見え始めた頃のアスキーにとって、あまりに浮いているようにも感じていた。無理をしてみても会社の中での投資も評価もこれ以上はないと感じたので、私は退職を決意した。
 辞表を出したときに、「マルチメディア事業をやってみないか」と引き止められた。しかし、当時のアスキーでは、8色のフロッピー・マガジンをマルチメディアと呼んでいた。私は『トータルリコール』や『マックスヘッドルーム』に出てくるような世界がマルチメディアだと信じていたので、きっと私がお婆さんになる頃まで実現しないだろうと思っていた。
 今回の転職では、私はビジネスの勉強をもっとオたいと思い「コンサルティング会社とかがいいかな」という漠然としたイメージで、新聞の求人欄を探していた。するとエアラインA社の関連会社で、「シンクタンクで新規事業のプランナー募集」という文字が目に飛び込んできた。チャレンジが好きな私は、アスキーで好きなことをできたのだから、エアラインA社という会社がバックにあれば、その10倍のことができると直感した。私は早速面接を申し込んだ。

 プレゼンテーションが大得意の私は、航空知識ゼロにもかかわらず、難なく採用された。

 新規事業を1年以内に立ち上げることをミッションに新たな生活が始まった。機内エンターテイメントの企画、エアラインA社ホテルのレディスクラブの年間企画……結局どれもこれも事業化するほどのものではなかった。  そんなある日、スチュワーデスの訓練をパソコンを使ってセルフトレーニングを行うシステムを、エアラインA社が独自で開発するというプロジェクトの話が私の耳に入ってきた。
 マッキントッシュというコンピュータとオーサウェアというソフトが、マルチメディア・トレーニングを可能にしているというのである。オーサリングソフトの代理店がアスキーだったので、アスキーというベンチャー会社を知らない情報システム本部部長が会社のことを私に聞きにきたのだった。
 私はその話を聞いた瞬間に雷に打たれたようにひらめいた。
 マルチメディア事業をやろう。
 翌朝にはこれこそが、新規事業だというような気合入りまくりのレポートを提出。それから、出版系の友達づてにマルチメディアの最先端を行く会社、アップルコンピュータに行ったり、製作プロダクションにヒアリングに回った。制作プロダクションはどこもまだ儲かっておらず、大変だ苦しいと口々に嘆いていた。そして私は完璧に自信を持った。なんだまだ誰も成功していない、今だったら先行してトップを走れる可能性がある。
 結局、1週間で事業化のプランをまとめてみた。その時の私の約束は5年以内にマルチメディア事業を事業部に成長させること。そして心密かに誓ったのは、その事業部の部長を私自信がやるということ。神のお告げと信じて私の新会社での命がけのプロジェクトが始まった。

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