連載コラム
spc

コラムサラリーウーマン金太郎 ── 奮闘&挫折の20代篇
Vol.1 「最初のメディア「Tokyo BAZAAR」」
(1.Jun.1999)
私がメディアをプロデュースしようとした時、経験があるかどうかなんて全く気にしてなかったかもしれない。夢に近づくには創るしかないと思ったから……。
 1986年、東京インターナショナル・センターを設立して、バイリンガルのフリーペーパー「Tokyo BAZAAR」を発行した時、目的は別にありました。当時、データベース・システム構築の会社のSEだった私は、独立して自分の会社でもっとすごいシステムを作りたい、と大それた夢を持っていました。会社設立の資金調達のために、某商社の新規事業部の部長に意気揚々と会いに行ったのですが、その部長は20代半ばの女の子の大胆発言にびっくり仰天。でもそれが無理であることを、優しく傷つけないように説明してくれました。

「君自身は優秀でも君の会社は信用がないから駄目だよ」
「どういう会社が信用される会社なのかわかりません。教えてください」
「たとえば日経新聞や朝日新聞に広告を出している会社は信用されるね」
「それなら、すぐに広告を出します」

 こう啖呵をきったものの、問い合わせた広告料金が約2000万円と聞いて、そんな大金あるわけないし、無理だということが私もすぐ理解しました。普通 ならここで諦めるのでしょうが、この時、私は発想を変えたのです。

 別に全国紙で広告を出す必要はない。あの部長だけが読む港区エリアの新聞でいいはずだ。そ黷ゥ分で作ってしまえばいい……。

 私がメディアを制作するきっかけはここが原点だったのです。『自分を宣伝するためのメディアが必要だった』──それが動機でした。
 今考えるとその無謀とも思える大胆さに、自分でも笑ってしまいます。

Top↑
spc

close